企業の採用や研修でよく使われる性格検査。
通常は適性検査と呼ばれることが多いですね。
この性格検査を取り扱う実施者には、高い専門性をもっていて頂きたいと思うのですが、どれだけの人が勉強しているのだろうかと思うことがありますね。
特性論とタイプ論って聞いたことありますか?
心理学で人格(性格)をとらえる際に使われる考え方には、大きく二つの考え方があります。
それは「特性論」と「類型論」です。
「類型論」のなかでもユングが提唱したものが「心理学的タイプ論(タイプ論)」です。
特性論とタイプ論を大雑把に説明すると以下のようになります。
特性論とは
① 誰もが、ある特性を少なくとも「ある程度」は普遍的に持っていて、そ の量や程度によって人を特徴づける見方
身長、体重、年齢、知能(IQ)などに表される人の特徴はすべて特性論です。
どんな人にも身長や 体重がある程度あり、年齢があり、知能があります。特性論では、それらの量や程度の違いで、お互いに異なる存在として特徴づけます。
沢山の人を対象に身長、体重、年齢、知能(IQ)について測定すると、大部分の人は平均に近く、中間に近い得点を取るため、測定結果の分布は釣り鐘型の正規分布をします。
そして、該当する人が最も多い正規分布の中央が「普通」とか「標準」として理解されます。
正規分布の両端にいる、極端なところにいることが、その人を特徴づけるものの見方です。
体重でいえば平均と比べて「極端に軽い人」「極端に重い」といったものです。
「優しい」とか「まじめ」とか「リーダーシップ」などについて検査する場合も同様で、68%程度の人の得点がほぼ真中の範囲に分布し、両端に行くにしたがって徐々にその割合が減少するといわれ、その人を特徴づけます。
② 特性論的な見方には価値判断や評価が必然的に伴う
私たちは、非常に楽観的であることを「危機意識に乏しいと」と捉え、問題があると考えたり、あまり楽観的でないと、悲観的で落ち 込みやすいネガティブな性格だと考えたりします。
また、傲慢で干渉的で支配的な人を遠ざけたいと思う半面、支配性がほとんどない人をリーダーシップがない人としてとして非難の的にしたりします。
過度に厳格な人は人生に対する視野や考え方が狭い、堅苦しい人だと評価したり、 それとは反対の人は、だらしのない、無責任な人だと思ったりします。
また、創造性、リー ダーシップ、洞察力などは、少ないより多くあるほうがよいと判断しがちです。
このように、私たちが人の性格を特性論的にみた場合、一定の価値判断や評価が伴うのがごく当たり前となる傾向があります。
③人の特性は行動を生じさせるという見方をする
特性論では、「彼はリーダシップが高いから自然とグループのまとめ役をかって出る」「あの人は優しいから人を非難しない」など、特性を行動の原因として考えます。
この特性を行動の原因として考えるという考え方が、人材採用や組織での人材配置において使い勝手が良いということも、特性論が広く採用されている理由の一つであると考えられます。
タイプ論とは
①ある質的に固有なカテゴリーに基づいて人を特徴づける見方
「あの人は知的なタイプだ」とか「協力的なタイプだ」というように、ある質的に固有なカテゴリーに基づいて人を分類し、特徴づける見方です。
質的に固有なカテゴリーというとわかりにくいので、果物を例に挙げてみます。
果物の種類をいくつか挙げてみてください。
リンゴ
バナナ
レモン
スイカ
etc.
リンゴとバナナは果物というカテゴリーでは同じものですが、それぞれが質的には異なる存在ですね。そして、同じリンゴというカテゴリの中でも全く同じリンゴというものは存在せず、一つ一つのリンゴは個別に異なる存在であると考えます。
ここが特性論と決定的に異なります。
特性論的には「すごく背が高い」とか「とてもリーダーシップがある」と、その量や程度が表現されますが、「すごくリンゴだ」とか「とてもバナナ」という表現はしませんね(お菓子とかの商品名ではありそうですがw)
タイプ論では比較や評価せずに、個々を固有な存在として絶対的な見方をするわけです。
② 常に対となる正反対の 極があり、一方の極で特徴づけられる人は、他方の極で特徴づけられる人とは質的に異なるという見方をする
タイプ論では二律背反のタイプのどちらかに属するというアプローチをします。
二律背反とは「一方が存在することで、もう一方が存在することができる二つのもの。そして、その二つは対極の存在であるもの」という考えです。
二律背反の例として「光と影」「上と下」「表と裏」「北と南」などがあります。
ユングは人の性格も二律背反の構図で成り立っていると考えたわけです。
ただし、人のタイプの場合、果物のたとえとは違い、一方の極に属する人は、対極の心も 使えると考えます。
リンゴでありながらバナナの味を出すことは出来ませんが、あるタイプの人は、そのタイプの心の機能を保ちながら、その対極の機能を使って判断することができると考えるのです。
③二つの対極の機能を継続的に交互に使用するが、使いやすいほうの極を優先的に 使い、その後でもう一方の心を使う。
タイプ論では対極にある二つの心の機能を同時に使うという考え方はしません。
スイッチのONとOFFのように、対極にある心の機能を交互に使っていますが、その人が自然と好む、使いやすい方の心の機能をはじめに使い、そのあとでもう一方の心の機能を使うと考えます。
④人の行動はタイプの表われとしてとる。
タイプ論では、その人のタイプが、行動の原因であるとは考えません。むしろ人の行動はタイプの表われとして捉えます。
心のエネルギーが自分の外側の世界に向かう「外向」を例にとると、特性論では「あなたは外向性が高いので、人との交流を好むのです」と特性を行動の原因として捉えますが、タイプ論では「あなたが人との交流を好むのは、あなたが外向を指向することの表れかもしれません」という表現になります。
企業の採用や研修などで利用される性格検査のほとんどは、その人の持っている特性の量や程度を計る”特性論”に基づいています。
特性論はその性質上、他の人との比較や評価をしやすいので、現在では、主流な考え方となっています。
しかしながら、性格検査で人を評価・判断することは、人にレッテル張りをして決めつけたり、その人自身の価値を評価することに簡単につながります。
性格検査だけで、複雑な人の心を理解することは出来ません。
そのことを肝に銘じて、性格検査を取り扱う実施者には、高い専門性をもっていていただきたいと思うのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。